こんにちは!ふくみっとの中の人です!
「コラム紹介」とは!私が出会ったコラムの中で、介護職に携わる皆さまにぜひお伝えしたい名コラムを紹介するコーナーです!
このコラムは、福祉人材の育成に尽力されているノートルダム女子大学教授の「三好 明夫」先生が、2004年頃に愛媛新聞に寄稿されていた、『介護人への12章』です。
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介護は、まだ名称のなかった家族による世話の時代から含めるととても長い歴史があります。
ですが、長く続けられてきたからといって当時のままの意識や方法でよいのでしょうか。
介護の現場に身を置いていた私が実感したことは「介護はとても奥深いものだが、いくらでも手抜きができる」ということでした。
平均寿命が延び、長寿社会の到来と言われて久しくなりましたが、長寿とは「長生きできることが幸せ」という意味であり、介護の専門職でも家族でもなく高齢者自身が言葉にするものでなければなりません。
人は生きているかぎり必ず老います。
とすれば高齢者福祉の充実は人ごとではないはずです。
どのような重い障害を抱えていても、満足のいく手厚い介護を受けることができ「生きていて良かった」と思える介護が必要であるということに異存はないと思います。
しかも、高齢者は現在の豊かな日本を汗して築いてくれた「社会の宝」なのですから。
さて、「排泄(はいせつ)」「入浴」「食事」「移動」を四大介護と呼びます。
この中で、必要不可欠な生理行為である「排泄」から話を進めていきたいと思います。
ある老人大学で排泄介護について受講生に尋ねたところ「おしめになったら終わりや」「自分でトイレに行けなくなったら生きていられない」という答えがかえってきました。
排泄という最もしゅう恥心の伴う行為を他者に委ねなければならないことは強い不安や屈辱感も伴うものです。
ですがどうでしょうか。
充実した設備と介護者を提供するはずの特別養護老人ホームでさえ、薄っぺらなカーテンを閉めることなく他人の面前に陰部をさらすオムツ交換や数度の失禁での安易なオムツへの転換、痴ほう症での便練りや便食べを防ぐためのつなぎ服の着用などが日常的に行われています。
こんな介護職員もいました。
「おしっこが出そうだから」と呼び止めるお年寄りに返した言葉が「心配しなくていいのよ。オムツをしているから安心して。出たら換えてあげるからね」と。
ブラックユーモアだとほほ笑んでいる場合ではありません。
いずれの行為も虐待ではないかと指摘するのは言い過ぎでしょうか。
すこぶる元気だったF子さんが肛門(こうもん)の病気があったからとはいえ、自身でオムツの着用を申し出たことを思い出します。
本人の強い希望を優先した結果、痴ほうの発症と急速な進行につながったのではないかという反省も後悔に終わりました。
「気の毒ながな」を繰り返していたF子さんの本当の心根に寄り添えなかったのです。
介護の行為は当事者と家族に了解を得ることはもちろんですが、
「自分がされて嫌なことはしない。してもらってありがたいことを提供する」という単純明快な姿勢を抜け落としてしまっては、どれほどの経験年数や国家資格を持っていても高齢者の真の満足は得られないのです。
三好 明夫
ノートルダム女子大学 社会福祉学 教授
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