こんにちは!ふくみっとの中の人です!
「コラム紹介」とは!私が出会ったコラムの中で、介護職に携わる皆さまにぜひお伝えしたい名コラムを紹介するコーナーです!
このコラムは、福祉人材の育成に尽力されているノートルダム女子大学教授の「三好 明夫」先生が、2004年頃に愛媛新聞に寄稿されていた、『介護人への12章』です。
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コミュニケーションはメッセージの共有が前提です。
一般にメッセージは送り手となったり受け手となったりすることで互いが内容を共有していくことになりますから、一方的なメッセージで終わるとしたら、それはコミュニケーションとはいえません。
ややもすると、送り手=援助者となって、援助者のメッセージがどのように受け手である要介護者に伝わったかということを優先して考えられがちですが、要介護者の回答や意見をどのように正確に読み取るのかということを忘れてはならないと思います。
この場合に最も大切なことは要介護者のメッセージをしっかりと「聴く」ことです。この「聴く」は、メッセージの奥に隠れている希望や要望までも理解できるように耳を傾けてしっかりと聴きとろうとするものです。
「言葉が人をつくる。言葉が態度をつくる。」ということを聞いたことがあります。
私は「言葉で人が殺せる」と考えます。
高齢者に対して赤ちゃん言葉や指示・命令言葉を使っているところは今では激減しているはずですが、一時は「痴呆があるので子どもみたいに扱うと安心している」などという施設もありました。
人生の大先輩に「○○ちゃん、 は~い、お口開けてくだちゃいよ。はい、よくできまちた」などという食事介助の光景に出合って違和感を感じないとしたら大変なことです。
信頼関係ができているから問題ないという人もいます。
しかし、信頼関係は短時間に、 しかも対人援助業務の中で容易に構築されるものでしょうか。
その信頼関係を誰が評価してくれているのでしょうか。
要介護者が「信頼関係があるから」と言ってくれたとしても、それが本心か本音か、そう言わせていないか、と考えなければなりません。
ちゃんづけや君づけにしても、本人や家族から「そう呼んでほしい」と言われ、自己決定を尊重しているのだという施設があります。
自己決定の尊重とは、本人の希望をすべてそのまま受け入れることなのでしょうか。
本人が希望するなら絶対にそれでいいと断言できるのでしょうか。
では、ほかの自己決定はどのように実現されているのでしょうか。
「食事時間をもっと遅くしてほしい」
「入浴は夕食後にしてほしい」
「週に一回はショッピングに連れて行ってほしい」
ちゃんづけに応えるだけではなく「~ほしい」という希望に向き合ってこそ、ほんものの信頼関係が出来上がっていくと思います。
三好 明夫
ノートルダム女子大学 社会福祉学 教授
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