Kubota
みなさんこんにちは。
ふくみっとです。
今回は京都府内に複数の法人、
施設を運営している代表の方にお会いしてきました。
自身の経験から不憫に感じることがあり、
障害者福祉の確立を先頭に立って懸命に働きかけたお話など、
説得力があるお話がいくつも聞けました。
人生の活力になりそうなインタビューでした。
最後まで見てね。
では、チェケラ
人物紹介:小森 猛さん
京都府内に複数の障害者福祉法人を運営している代表
障害者福祉のパイオニアと言っても過言ではない人物
TOPICS
今日は複数の法人の代表を
されている小森様に
障害福祉への思いなどに
フォーカスしたインタビュー
をしたいと思います。
宜しくお願い致します!
早速なんですけど、
小森様はどういった
きっかけで福祉の事業を
始められたんですか?
元々ね、別に福祉の事業所やろうと思ったわけではなかったんですよ。
今年57歳になるんですけど、41年か 42年前に首の骨折って怪我したんですね。
怪我する前は野球が大好きで毎日野球練習ばっかりやってた人間が、体が全く動かへんくなって、
自分のことが自分で何も出来なくなっちゃったんです…
え?そうなんですね。
車いす生活になった時に、全く社会参加が出来なくなってしまってね。
今まで動けてた人間が動けなくなってしまったら、それだけが変わるではなくて生きていくということに関してもの凄い差別があったんです。
社会参加が全く出来なくなってしまうということが、おかしいなというところから始まって、障害を持つことが悪いわけでなくて、
社会の考え方、概念みたいなんを変えていこう!
ということで、僕らの活動が始まったんです。
なるほど、
そうだったんですね…
社会の考え方みたいなのを
変えていくのに、どんな
活動をされたんですか?
僕らの活動の前に、障害の大先輩の人たちが障害者運動・活動というのをしていたんです。
人間として対等な形どころか人として全く存在を認めてもらえなかったことが、大きな問題で・・・
色んなところで働きかけて、行政交渉もされてました。
そんな中で1981年に国際障害者年いうのがあったんですね。
小森様は怪我をしてご自身が
車いすでの生活になって、
その後の国際障害者年くらいか
ら活動をされ始めたんですね。
あっ、僕が怪我したのが1979年です。
1979年に怪我したんで、1981年の国際障害者年のことはほとんど知りませんでした(笑)
あ、そうなんですね(笑)
早とちりしました(笑)
まあ何より、この国際障害者年が大きく大きく日本の社会を変えてくきっかけの第一歩やったと思いますね。
そこで大きな理念として言われたのが、障害のある人も完全なる社会参加と平等いうのを国自身が言ったんですよね。
まあ実行なんか直ぐに出来ひんのは当然なんやけど、それを理念に持ってやったいうのはやっぱり凄いことでした。
そうですよね。
国がそれを掲げたって、今まで
にはなかったことですよね?
国外の方がそういう動きって
早かったりしたんですか?
せやね!アメリカの方が障害者の運動・活動いうのは早くからやってはったね!
WoW!
エドロバーツっていう障害のもの凄い重い方がアメリカのバークレーいうとこで自立生活をしはったんですね。
『自立生活の父』って言われていた人なんやけど、ポリオにかかって酸素の大きい大きいドラム缶みたいなんの中に入って寝はるんですよ。
そういう状態でアメリカから日本に来て講演しはったんです。
そこから日本の障害者の人らは「お~自分らも出来んねや!」言うて、障害者運動・活動が盛り上がって行ったんです。
なるほど…
海外の方の影響を受けて
徐々に変わっていったん
ですね。
自分たちで当たり前に自己選択・自己決定出来る社会になるまでにもの凄い時間かかったんですよ。
1981年の国際障害者年から2003年の障害者福祉法で大きく制度が変わって、支援費制度いう制度があるんですよ。
それまでは僕らの生き方いうのは、自分たちで決められなかったんですね。
そうだったんですね。
ちなみに自分たちで
決めれない…
誰が決めるんですか?
国が決めてたんですよ。
国が…
ついこないだまで障害者の運動・活動を粘り強くず~っとやってきて、やっと2003年に変わったんですよ!
自分たちが自己選択・自己決定出来て、人生の主人公で主体的に生きていくというような考え方がそこからスタートしたんです。
え~、そうだったんですね!
割と最近なんですね。
ただその変わったと言っても、実際は中々そんなん変えられるわけじゃないよね。
確かに実際現場というか
当事者に反映されるまで
には何にしても時間が
かかりますよね。
それもあるんですけど、根底の理解にズレがあるんですよ。
詳しく教えて頂けますか?
バリアフリーって言っても、今でこそユニバーサルデザインという誰もが使いやすい施設があったりして、
例えば競馬場に行って車いす席がちゃんと用意してあったらそこにいてるでしょ?
ゴール前で。
馬がずっと向こうから走って来て、ゴール前なったらどうなるかわかります?!
お客さんみんな立ち上がりますよね?
そ、そうですね(笑)
見えへん(笑)
そら、興奮してね(笑)
わー当たったとか言うて、お客さん立ち上がって僕ら何にも見えへんのです。
これはね、今回のパラリンピック・オリンピックの会場ではそれはもうないんですよ!
前のお客さんが立ち上がって声援を送ったとしても、僕らの位置は、ちゃんと周りが見える状態で作ってあるんですよ!
そういう風に色んな司法制度、福祉の制度が変わってきたんですね~
なるほど、配慮があるようで
なかったんですね…
でもこうやって今、
変わってきてるんですね!
自己選択・自己決定がなされて社会が障害者の人と一緒に暮らせるような思いをもってやれるようになって欲しいね。
ちょっと話が変わるんやけど自己選択・自己決定の話をすると障害自体もそうなんです。
障害もですか?
僕はトランポリンで首の骨折ったんやけどトランポリンやろうと思ってやりました。
そこには自己選択・自己決定があったんですよ。
それで怪我したんです。
そこには自分で選択した決定があったんです。
せやけど生まれてきた時から障害者で差別を受け続けて生きてきはった人と、自分たちで自己選択・自己決定をして怪我をしてそれで差別を受けて生きてきた人では絶対違うなと思うね。
やっぱしそれは障害を持って生まれてきはった人は大変な苦労と努力があるなと僕は思いましたね。
確かに、そうですよね。
完全に対等な社会って無いと思うんですよ?
基本的にどうやっても無理やと思っててね。
こういう障害一つとってもそうやし。
例えば竹田駅にはエレベーターとエスカレーターもあって、階段もあるんです。
久保田くんは、階段も利用出来るし、階段が使ったらあかんのやったら、エスカレーターを利用しはるし、エスカレーターあかんかったらエレベーター利用すべきで…
3つの選択肢があるよね?
そうですね、
混んでたら違うとことか
選んだりしますね。
せやけど僕はエレベーターしか利用出来ひんのです。
これはバリアフリーか言うたらバリアフリーなんやけど、3つの選択肢がある人と1つしか選択肢が無い人が対等ですよ言うたってちょっと違うんちゃうかな?思ってます。
足が不自由な人で車いすの人でも行けるとことか色んなところを作っていくいうのは当然あるべきやし、そういうように社会は変わっていかなあかんねやけど、僕も中々そこまでは対等に何もかもがハード面だけでは成り立たんて思っています。
そしたらあとはもう、ソフト面しか無いと思ってるんやね。
ソフト面の変革ですね…
きっとそういった
「こうしていきたい!」って
いう思いから、複数の法人の
代表になって運営されてると
思うんですけど、
運営とかを始める決定的な
きっかけというか、そういう
のってありましたか??
それはね、この僕らが始める前はね、大きい社会福祉法人がヘルパー派遣の事業所とか作業所とかやってはったりしてたんです。
でもそこは大体朝の9時から夕方の5時で終わりだったんです。
日中だけなんですね。
せやから、夕方の5時から次の日の朝までは1人でいなしゃーないでしょ?
それでは生きていけへんからいうことで、僕は24時間体制365日休みなしでヘルパーをしましょうというところからスタートしたんです。
僕らが障害を持ってる人らのニーズなり声を聞いて耳傾けて、そして事業所を作っていきました。
なるほど、
ご自身が一人暮らしを
されてた時の経験から、
誰を主体に考えて提供
するサービスなのか、
誰の声をよく聞いてやるか
というところから
考えられたんですね。
それで24時間365日対応
できるヘルパーの派遣って
いう事業をまず最初に
立ち上げられたんですね!
事業を始める時も、
当事者主体、当事者目線で
考えられているからこその
この事業ですよね。
ちなみに、今複数の法人を運営
されてると思うんですけど、
いくつ運営されてるんですか?
ちょっと待ってね、
いくつや…(笑)
株式会社赤と七、
株式会社空遊、
特定非営利活動法人
ソーシャルアクション・パートナーシップ、
特定非営利活動法人なごみ、
特定非営利活動法人麗山。
今はこんな感じです。
僕が主体として大きく、ほんまに事業としてやってるのはそんなに多くないです。(笑)
多くないことは
ないですね(笑)
初めはどの法人さんから
作られたんですか?
2003年に支援費制度出す時に京都市に事業所の指定というのがあって、それを取れば誰もが法人格を取得して誰でも出来るっていうのがあったんですね。
その時ちょうど特定非営利活動法人なごみというのをスタートさしたんですね。
その時スタートさせたメンバーは大学生が4人と僕と介護福祉士の専門学校行ってる子と、大体6人ぐらいで始めたんです。
え、メンバーの中に
大学生の方も
いらっしゃったんですか!?
僕と同い年くらいですよね?
どういう繋がりで知り合って
始めようってなったんですか?
大学生の人と知り合ったきっかけいうのがちょっとまた戻っちゃうんやけど、
僕が30歳の時かな?
一人暮らし始めた時はね、夕方以降の介助とかを近所の人とか知り合いのボランティアの人にお願いしてたんですよ。
ボランティアですか。
そう。でもやっぱりこの仕事ってね、ボランティアの人も一生懸命やってくれたはんねやけど、どうしても優先順位が違いますよね?
家族がいる知り合いにやっぱりちょっと行けへんわ言われても、「あーすんませんわかりました」という、こっちが言わなあかんような。
それでは僕らの暮らしは成り立たへんから、
これ仕事としてやってもらえればいうことで、
次の年に全身性障害者介護人派遣制度いうのを、京都市に作らしたんですよ。
全身性障害者介護人派遣制度
ってどんな制度なんですか?
全身性障害者介護人派遣制度いうのは、大体自分でヘルパーを探してくるんです。
それで僕はチラシを作ったんですよ。
「そこの市営住宅で一人暮らしをしてる頚髄損傷の小森です」と。
こういうとこで手伝って欲しいと僕の話と時給を書いて福祉専門学校にチラシを貼ったんです。
そしたら結構来てくれたんです。
やっぱり、ペーパー上の勉強より実態・実際そういうのが出来たら有難いという人もおってね、やっぱりそういうやってやろうという気持ちのある人がみんな来てくれはったんです。
そこで色々その人らに話して、僕の暮らしなり障害当事者の意識の持ち方とか考え方を学生さんらと話しながら、法人を作っていったんですよ。
そこで大学生とも知り合って
作っていったんですね、
なるほど。
ちなみに、なぜ1つでは
なくて複数の法人を作って
運営されてるんですか?
色んな福祉の運動・活動をやってたから、小森さんこういうのやって欲しいあんなんやって欲しいいうニーズが来るんです。
理念とか考え方は1つなんだけど、違う法人を作ってリーダーシップ取れる人を立ててやった方が違う形の事業所として違う人格でやった方が、良いかな思ってやってきたんですよ。
そしたらちょっとこんな数になってきてっていう感じですね(笑)
でも、現場で支援をやったはる人はしんどいと思います。
僕らのこの考えでいくと、24時間やし、365日休みないし・・・
もちろん一人ひとりの労働者は労働基準法があるから、休みはあるんやけど、法人としてはそういう形ですし。
やっぱり利用者さんが主体やから、一人ひとりの要求に対して出来るだけ僕らはやっていくことを大切にしてるから。
制度法律がちょっと違っても、そういう要求があったらやっぱりやっていく方向で考えてるんです。
その辺はやっていかはる人にとっては、しんどいところはあるかもしれんねと思います。
ただ、僕らの法人理念は、そこにあるからそれでやれる人に来てもらいたいって思ってますね。
ありがとうございます!
理念っていうのは、
ホームページとか見させて
頂いたんですけど、障害者
の方でも無限の可能性が
あってっていうような…
そういった理念に共感して
頂ける方に他の事業とかを
任せているというか…
そうやね。
特定非営利活動法人ソーシャルアクション・パートナーシップもね、パートさんも入れて今120人くらい従業員がいはるんですよ。
そこの事業所が8つあったら8人の管理者がいますよね?
その管理者の人たちは、僕の理念を受け継いで頑張ってくれてはる人やと思いますね。
この小森さんの熱い思いや
理念をしっかり受け継いで、
現場の方に落とし込んで
いってるんですね!
細部までは正直わからないけどね(笑)
事業所によって変わるけど、月に2回会議をして、月に1回理事会して、こういう形で進めて齟齬が生まれないようにしてます。
なるほど、
ありがとうございます!
これまで小森様の活動と
法人の運営のお話とかを
聞かせて頂いたので、
次は未来というか今後の
成し遂げたいビジョンとか
目標みたいなところを
お伺いしたいなと思います!
お~難しいねぇ(笑)
将来ねぇ…将来ほんまに、
どうなってんねやろな(笑)
でも障害者運動は継続していくと思います。
「障害を持ってる人の生き様を健常者の人が尊敬出来る」こうなって行きたいね。
やっぱり今後目指される
ことも壮大ですね!
僕も障害なんてなるって思てへんかったしね、今どこで誰がどういう障害になるかってわからへんしほんま災害も多いしね。
今の子らは新型コロナもある、だからやっぱねほんまに難しい問題やけど、自分がそういう立場になった時に考えられてるように、意識しといてもらえたらほんと有難いなと思いますね。
そやし僕は、障害を持ってる人らが今まで生きてきはった生き様みたいなのを健常者の人たちが尊敬出来たら、それこそ対等な考え方のバリアフリー、ノーマライゼーションになるんちゃうかなと思いますね。
それがやっぱり大きく社会変えていくんかなと思うんやね。
ありがとうございます!
最後になるんですが、
活動を続けられてきた
小森様からこの記事を
読んで下さる方に向けて
一言頂きたいです!
絶対やりがいを持ってやれる仕事やと思います。
もちろん、しんどいかもしれんけどね。しっかり考えてもらえたら、この法人で仕事をやっていこうという気持ちを持ってくれはったら、長いことほんまに続けてやって行けると思います。
是非是非、
この記事を見て是非!
一緒に働いてくれはるいう人が1人でも2人でも増えていけば、障害者の人らと健常者の人らと共生が出来たらほんまに良い日本の社会になっていくと思います。
きっとこの記事を読まれた方は
小森様の熱い思いに胸を打たれ
たと思います!
そうですね、やっぱり
対等な社会を考えるきっかけ
になったというか、小森様の
この業界を変革していこうと
活動されてきたっていう思い
も非常に伝わってきました。
障害福祉の歴史のようなこと
も非常に勉強になりました!
障害福祉や障害者のことを
理解したいという方が
増えてくると思います。
ありがとうございます!
ありがとうございました!
小森さんが運営している他の法人、
施設にお伺いした記事も載せています。
是非、
下記リンクからご覧ください。↓↓