こんにちは!ふくみっとの中の人です!
「コラム紹介」とは!私が出会ったコラムの中で、介護職に携わる皆さまにぜひお伝えしたい名コラムを紹介するコーナーです!
このコラムは、福祉人材の育成に尽力されているノートルダム女子大学教授の「三好 明夫」先生が、2004年頃に愛媛新聞に寄稿されていた、『介護人への12章』です。
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介護の現場で避けて通れない課題の1つに「ターミナルケア(終末看護)」があります。
介護老人福祉施設は高齢者にとって生活の場所であり、終(つい)のすみかだとする考え方もあるわけですから、本人や家族の希望によって、寿命の灯火が消えるまで精いっぱい介護を続けることが必要ではないかと思います。
しかし、最期の看(み)取りだけでなく、
仲間や友人たちに見送られたいと思っても「施設は葬儀場ではないから」とできるだけ早く家族に引き取りを願っている施設もあります。
日本では議論されることが少ない「安楽死」や「尊厳死」についても踏み込む必要がある問題です。
介護保険制度下で誕生した痴ほう対応型共同生活介護といわれる通称グループホームは、すさまじい勢いで開設されています。
小規模化や地域との交流、個室化、バリアフリーという点で新たな要介護高齢者の住まいであるといえます。
慣れ親しんだ第二のわが家で終えたいという希望あった場合、どのように実現していけるか、介護の創意工夫も今後の大きな課題でしょう。
F子さん(83)は病院での入院治療を終えて施設に戻ってきましたが、体力もかなり低下しており全面介助が必要になっていました。
ですが、意識ははっきりとしており「もう入院はしとうない。
ここにずっとおらしてや」と繰り返していました。主治医と家族の意見も総合して最期まで施設で看取ることになりました。
食事もほとんど食べられなくなり点滴中心となっていたある日、「鯛(たい)のさしみの夢をみたんよ。
おいしかった。
もういっぺんでええけん鯛のさしみが食べたい」と言葉が出たのです。
この要求に看護職はもちろん介護職までがのど詰めなどを心配して説得しようとした時、栄養士が飛び込んできました。
彼女はTシャツに短パン、ねじり鉢巻きで夜間入浴の介助にも参加した人です。
「F子さんがこれだけ食べたいといってるんやからなんとかして食べてもらおうや。それが介護というものやないの」と言うと、町の魚屋で鯛のさしみを買ってきて、F子さんにゆっくりと声をかけながら食べてもらいました。
周りでは看護職もいざという時にために待機して、介護職は手を合わせていました。
F子さんは口の中に入ってきたさしみのエキスだけをチューチューと吸い、
「おいしい、おいしい鯛のさしみじゃ」と満面の笑顔になって、その日に大勢の人たちに見守られて天国へ旅立ちました。
介護のプロといわれる看護職や介護職たちに自己決定や高齢者の満足という視点で介護とは何かを突きつけてくれていたこの栄養士は翌年、永遠の介護人となりました。
「どう生きるのか」ということは「どう死んでいくのか」ということも考えることではないでしょうか。
介護の現場ではどこまでお手伝いができるのでしょうか。
三好 明夫
ノートルダム女子大学 社会福祉学 教授
https://notredame-db.net/detail.php?id=65
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